1937年(昭和12) 「第1回中国写真家集団展」(小西六ホール、東京、12月) 《五月の童》出品。
1938年(昭和13) 「第2回中国写真家集団展」(小西六ホール、東京、5月) 《雪中群像》など出品。
1939年(昭和14) 「第3回中国写真家集団展」(小西六ホール、東京、9月) 《少女四態》《群童》
《春》など出品。
《少女四態》が「第13回日本写真美術展」(銀座三越、東京、12月、毎日新聞社主催)
で特選を受賞。
1940年(昭和15) 「第4回中国写真家集団展」(小西六ホール、東京、6月) 《茶谷老人とその娘》
など出品。
1957年(昭和32) 「6人展 秋山庄太郎、岩宮武二、植田正治、林忠彦、堀内初太郎、緑川洋一」
(富士フォトサロン、東京、9月)以後随時開催。
1958年(昭和33) 「近代美術館蒐集写真展」(ニューヨーク近代美術館、11月〜翌年1月)
《雪の面》出品。E.スタイケンによる企画、同館に出品作収蔵。
1969年(昭和44) 「山陰12人展」(ペンタックスギャラリー、東京、10月)
山陰のアマチュア写真家11人とともに第1回展を開催。
以降、1973年まで毎年開催される。
1974年(昭和49) 「植田正治展 1935−1974」(ニコンサロン、東京銀座・新宿/大阪、3月)
1979年(昭和54) 「日本の写真・1848年から今日まで」展(ボローニャ近代美術館、1〜2月)
1980年(昭和55) 「風景の光景」個展(ニコンサロン、東京銀座・新宿/大阪、4月)
1982年(昭和57) 「日本の38人の写真家」展(第17回フォトキナ、ケルン、10月)
1984年(昭和59) 「植田正治 50年の軌跡」展(ペンタックスフォーラム、東京、1月)開催。
1986年(昭和61) 「前衛の日本 1910−1970」展
(ポンピドゥー・センター、パリ、12月〜翌年3月)出品。
1987年(昭和62) 「植田正治 砂丘」展(渋谷PARCO、東京、2月)
1988年(昭和63) 「フォト・フェスト’88」国際写真フェスティバル
(ヒューストン・センター、2月)招待作家として、個展が開催される。
1990年(平成2) 「景色と静物の物語」展(コニカプラザ、東京、3〜4月)
1992年(平成4) 「植田正治とその仲間たち 1935〜55」展(米子市美術館、2〜3月)
「砂丘劇場」個展(JCIIフォトサロン、東京、7月)
1993年(平成5) 「植田正治の写真」展(東京ステーションギャラリー、7〜8月)
1994年(平成6) 「植田正治」展(シャトー・ド・オー美術館、トゥールーズ、12月)
2001年(平成13) 唐招提寺金堂平成大修理記念「鑑真和上と世界の写真家」展
(東京、銀座松坂屋1月/東京都写真美術館、8〜9月)
遺作《黒い波》出品。植田は他界した当日、唐招提寺への出発を予定していた。
「Illusion―Japanese Photography」展(Kulturhuset,Stockholm、8〜9月)出品。
この展覧会は植田正治に捧げられたもので、その後2002年11月までデンマーク、
ノルウェー、フィンランドなど北欧7ヶ所を巡回。
参考文献:「植田正治の写真」展図録(東日本鉄道文化財団、1993年)所収年譜(蔦谷典子編)
「日本の写真家20 植田正治」(岩波書店、1998年)所収年譜(池上浩生編)